音楽と趣味とそれから雑多な事、

山間の田舎から連連と綴ってます。

歌詞という私の偶像。

中学~高校の間に邦楽ロック(何をロックと定義するかは人それぞれだとは思います。)と言うものにハマり、その当時流行っていたミッシェルですとかアジカン、BUMPですとか、果てはナンバガやEGO、RADなどのCDを買い漁っては聞いていました。

当時はバイトをしていたとはいえ金銭的に余裕もなく、iPodウォークマンを買うこともできずPCに取り込みCDに録音するか、それすら出来ない場合はカセットに吹き込んで擦り切れるまで聞いていました。

特に楽器を弾けるわけでも歌が上手いわけでもはなかったので、イントロから流れる激しいエレキの音、力強い歌声に憧れを持っていました。

彼らの作る歌詞に興味を持ち始めたのは、高校の頃でした。当時、知識が乏しいのに本ばかり読んでいた私は、一つ一つの語句の意味を調べ、読み砕いて理解していました。次第に意味なども理解するようになると、それまで何となく聞いていた曲の歌詞に何かしらの意味が見えてくるようになりました。

あくまで自己解釈としての意味が分かったと勘違いしていたので、そのアーティストが何らかの思想を持っているのではないだろうか?という穿った考えも持つようになりました。

歳を重ねるに連れて歌詞の意味ばかりに目がいくようになり、次第に偏見で彼らの歌詞を見るようになりました。

アジカンは学生時代ずっと聞いていたバンドです。何回かツアーやフェスにも行き、CD・DVD・グッズは欠かさず買っていました。そんな大好きなバンドのフロントマンがN2(No Newton)という曲を作り、Twitterで政治的発言をしていた時は正直残念でした。

衝撃を受けたのはEGO-WRAPPIN'の『10万年後の君へ』という曲です。このアルバムの発売に伴って行われた全国ツアーで、初めてEGOが地元のライブハウスに来ました。生でこの曲も聞いたのですが、ノリの良いラップ調のサビと比べ歌詞はとてもウィットに富んでいました。前作のアルバムやソロアルバムのソレイユをよく聞いていたので、その作風の違いに少し困惑しました。

一人暮らしを始めて数年後、僅かばかりのCDだけ残しバンドのCDやDVDを全て売りに行きました。その月の生活が厳しかったわけでもなく見限ったわけでもなく、ただ何となく言葉に意味を持ち始めた曲が聞けなくなったんだと思います。

歌詞を偶像視するあまり、それが自分の考えている事と違うと思うと、曲が聴けませんでした。

そんな中、今でも聞いているのはPeople In The Boxです。彼らの曲の歌詞は明確に何かを表している訳ではなく、敢えて聴く側に委ねているのではないだろうかと、烏滸がましいながら今も思っています。

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